185の壁
今年で51(歳)にもなるのに、いまだに学生時代の部活のことが思い出されたり、夢に出てきたりする。
陸上の走り高跳びをやっていて、中学時代の自己記録が1m75。うちの地域では、1m80を跳んでいると他の選手から一目おかれ、75止まりだとその他大勢の くくり、という感じだった。そしてぼくは、同じ高さを跳んでも試技数の差でベスト8へ入れず、県大会へは進めなかった。
高校へ進学。
ここでひとつ、転機が訪れる。
走り高跳びのスパイクは他の競技とは違っていて、踵の裏にもピンがついている。進学してから知ったのは、 みんな中学時代からそのスパイクを使用していて、ぼくだけ短距離用スパイクで競技していたことだった。急いで買い直した専用のスパイクを履いたら、いきなり1m80をクリア。「これはスゴイ!」
ぼくはここで大いに満足してしまった。実はその時の調子なら、そのまま1m85もクリア出来た可能性があった。経験者ならよく分かると思うけど、その後にどれだけトレーニングを積んでも、技術を磨いても、だから記録が伸びるという保証はない。逆にあのとき、勢いを利用して85もクリアしておけば、ぼくの競技人生は違っていたかもしれない。
ぼくのその後は、80はいつでもクリア出来るけど85には手が届かないという、高校生では、通用しない平凡なものとなり、種目の変更を余儀なくされた。
あのとき1m85まで跳んでいたら.....
実はここまでが長い前置きです。
いくら青春時代の思い出とはいえ、いまだに振り返るなんて異常ではないか。
ほくは、「あのとき」ではなく、その後も同じ過ちを繰り返し続けて今に至る、ということに気が付いてしまった。
人生の「185の壁」は至るところにある。それを克服した時にどんな景色が見えるのか。
「思い出との決別」これが今年のぼくの目標であります。
2021 1 4