目指せ300up

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261 本の・少し

⭐「本日は、お日柄もよく」原田マハ P95

~ 口から、自然に、言葉がすべり出した。
 不思議なことに、そのあとは、もう
        立ち止まらなかった。~

 まず「スピーチ」を題材にしたことが凄いと思う。プロの作家であっても、「スベるかも」って思いそうじゃん。確かな技術と緻密な取材により、自信を持って書いたのでは、と想像します。書店でよく平積みの「原田マハ」を見かけるのもうなずける。
 そして展開が早い。主人公がこの一冊をかけて、スピーチの極意を学び、友人の披露宴でその成果を発揮する、というほくのもくろみ?!はあっけなく崩れさる。上の場面は序盤の序盤。楽しみはまだまだ続く。

⭐「八月の御所グラウンド」万城目学 P55

  ~ 「あいつら、本物かもよ」 ~

 万城目さんの小説を読むのはこれが初めて。直木賞受賞作の「八月の御所グラウンド」と一緒に収められているのが、「十二月の都大路上下ル」。
 補欠のはずが、全国高校駅伝を走るはことになった主人公。大会本番では新撰組の亡霊たちと並走することに。
 著者はインタビューで、この短編の為に、田中希実さんを取材したと語っていた。その成果は大会の前日と翌日の描写にも注がれている。大会本番では各選手の佇まいやレースの細かい駆け引きなど、テレビ中継だけでは得られない情報量が、更にレースを盛り上げる。
 そしてスポーツ小説でありながら、羽目の外し方が絶妙。
 ああ、面白かった。
 
 たった今、読み始めた「八月の御所グラウンド」から過去作へ。ボリュームが増すごとに万城目さんの世界観にハマっていく予感。

2024 3 2

260 ひとりごと

        親近感

 超早起き生活を始めてもうすぐ一年。
 毎朝のささやかな楽しみは、新聞が新聞受けに届けられた時に聞こえてくる「カチャッ」っていう音。
 配達員はこんな早い時間に電気がついている一軒に最初は不信感を抱くものの、慣れてくると、同じ時間に起きていることで親近感を抱いたりする。
 何でそんなことが分かるのかというと、ぼくも配達経験者だから。

 配達員には早起き以外にも大変なことがたくさんある。
 まず、配達する家を把握しないといけない。頼りは最初についてくれる先輩と道順が記号で記された専用の手帳。スマホ時代にこんな手帳が今も存在しているのか分からないけど、あの手帳はよく出来ていた。多少の雨なら濡れても大丈夫な材質で、真っ直ぐだの、右だの左だの、何軒目だの書いてあった気がする。
 そして慣れてきた頃に事は起きる。全ての家を把握し、手帳とさよならしたタイミングでの配り忘れ。最後の家を配り終えた後に一部残ってしまったときの恐怖。間違えて余分に積んだだけと、自分に言い聞かせて帰宅し、眠りにつく。販売所から掛かってくる未配の電話。お詫びのスポーツ新聞を片手に向かった現地は、太陽が眩しかった。
 
 その他、雑誌のようなチラシの束に辟易した元旦の配達。台風の中、疾走したカブが横滑りして肝を冷やしたことも。

 今の配達員にも似たような経験があるに違いない。
 そんなわけで、お互いを知らずともきっと親近感で繋がっている、と勝手に想像している。

2024 2 28 

259 ひとりごと

    「家宝」は寝て待て

 果報ではないです。

 何年かに1回、断捨離を繰り返していると、お気に入りだったCDでもいつか手放す日がやってくる。そんな中でもふるいに耐え抜いて永久保存版となっている作品たち。

 TM NETWORK「humansystem」
 陣内大蔵   「RISING」
 浜崎あゆみ  「Duty」
 WANDS   「AWAKE」
 B'z     「MAGIC」
 ACIDMAN  「ALMA
 BUCK-TICK 「アトム 未来派 No.9」

 などなど

 これらのアルバムには、ある共通点がある。
 ぼくは基本的に寝つきが良い。60分のスリープタイマーでCDをかけていても、ほぼ1曲目で寝てしまう。そして通常なら、作品を楽しめないもどかしさを抱えたまま朝になる。
 しかし、マイ保存版の場合、たとえすぐに寝てしまっても、各曲のサビのところで、その都度 目が覚める。まるでレム睡眠とノンレム睡眠の周期をアルバムに合わせているかのように。
 そして寝不足でも「いい夢見たな」って感じで朝を迎えられる。

 ぶつ切りの配信が主流になってしまった時代で、自分はあと何枚こういう作品に出会えるだろうと思いながら今、何回目かの断捨離の手を動かしているところ。
 さようなら「」「」「」.....

2024 2 17

258 ひとりごと

 ぼくが丹精込めて育てた野菜よりも 娘が適当に育てた野菜のほうが立派 という問題について

 今年も娘とのホウレンソウ対決は、ぼくの敗北が濃厚。(去年の対決は "159ひとりごと" を見てね)ぼくのホウレンソウは栽培初期から早々と葉っぱが黄色くなり、娘のは青々としている。笑ってばかりもいられないので原因究明を試みる。

 まず、土作り。散々手をかけたぼくの土に対して、娘に用意したのは、ナスの樹を処分しただけの場所。
 地上部でカットしただけなので、耕さずとも根が残り、空気の通りが良くなったのかもしれない。そして、野菜の連作は良くないといわれているなか、ナスの後にホウレンソウという組合せは、相性が良かったのかもしれない。

 次に栽培環境。日当たりと水やりは条件が同じ。
 違うのは、ぼくの手作りハウス栽培に対して、娘のは 吹きっさらしの露地栽培だったこと。ホウレンソウは冬野菜の基本に立ち返れば、ハウス栽培は過保護過ぎるのかもしれない。スーパーのホウレンソウだって、かたちは悪くても露地もののほうが健康そうに見える。

 こうして分析をしてみたことで、ぼくのプライドは多少なりとも保たれた。次回は必ず娘の真似をしようと心に誓う。

2024 2 12

257 ひとりごと

       なおざり

 新聞の記事で「なおざり」と書かれているのを見て驚いた。「おざなり」じゃないの?50年も間違えたまま生きてきたのかと。
 あわてて嫁に聞いてみる。
 「えっ、おざなり でしょ」
 「でしょ、でしょ、でしょ」
 ホッとした。新聞よりも嫁を信用する ぼく。(嫁には逆らえない)
 でも新聞が間違えるなんてあるかしら?もしかして「 ~な おざり 」とか。おざりってなんだ?ザリガニLOVEのぼくなら「お」をつけてもかまわないけど。それとも地域で言い方が変わる方言的なことか?もやもやを抱えたまま出勤し、もやもやを抱えたまま帰宅。

 ネットで調べてみたらどちらも間違いではなく、しかもどちらも似たような意味だと知ってまたびっくり。
 具体的には「なおざり」は、いい加減で何も対応しないこと。「おざなり」は対応の仕方がいい加減なこと、とある。

 「おざなり」なぼくは、しばらく覚えたての「なおざり」を連発するに違いない。

2024 2 6

256 ひとりごと

       ウィザード

 あたたかい年末、快適な年明けが懐かしい。このまま春へ、と思っていたけれど、大寒はしっかりとやってきた。
 
 確か「着る毛布」を購入したのは、昨年の11月。ネット注文で届いた品を見て、まず、前側から着て背中を留める仕様に「違うだろ」と思ってしまった。
 多少身動きが不便でも、うしろまえに着て背中の暖を優先する。留めのマジックテープが心許ないので安全ピンやら伝票バサミやらを駆使して前側もしっかりガード。
 満足のいく仕様になったものの、結局「面倒臭っ」となって、部屋の片隅へ。脱ぎ捨てられた着ぐるみのような哀愁を漂わせていた。
 それがここ数日はどうだ!
 もうこれが無くては過ごせない。
 ぼくの冬の部屋着は、お古のダウンジャケット。その上から"着る毛布"を羽織るんだけど、毎回 脱いだときに、ダウンジャケットまで脱いでしまったような錯覚を起こす。前後を比較したらCM映えしそうなサーモグラフになっていると思う。
 巷では一昨年頃から流行っていたようだけど、"着る毛布"は偉大だ。
 何気なく"着る毛布"の姿で鏡の前を通過したら、ロールプレイングゲームに紛れていそうな自分が映っていた。

2024 1 29

255 本の・少し

⭐「ミチクサ先生」 伊集院静 P150

 ~ この会話こそ、やがて日本の
   近代文学で重要な仕事をする
   二人の大切な時間だったのである ~

 歴史が苦手だ。織田信長豊臣秀吉徳川家康と順に天下を取ったのだから、信長と家康は生きていた年代がずっと離れていると思っていた。それくらい苦手だ。年表世代の弊害。
 明治前後に絞って、そのかわりあらゆるジャンルから歴史の勉強をやり直してみようと思っている今日この頃。

 そんなきっかけもあり、暖かみのある表紙に惹かれて「ミチクサ先生」を手に取った。
 夏目漱石正岡子規、有名人同士の交流が描かれている。豪快な子規と繊細な漱石が友情を育んでいく過程は読み応えがある。
 二人が同時代を生き、これだけの勉強家だったなんて初めて知った。

 「そんなことも知らんのか」の声には、どうもスミマセン。
 「そんなことは知りません」の声には、あなたもきっとハマります。
 
⭐「始まりの木」 夏川草介 P336

~「民俗学の出番だとはおもわんかね」~

 主人公の学生、藤崎千佳と一緒に民俗学を学びながら、ここまでたどり着いた読者に指導教官がズバッと投げかけるこの言葉が気持ちいい。カッコいい。
 ダメだダメだと嘆いていても何も変わらない。失われていく日本に光を取り戻すヒントはほんの少し目を凝らした先にある。「小説の枠」を越えた物語の続きは読者に委ねられている。
 ここに至ると指導教官の古屋神寺郎の毒舌も、読みはじめとは違った響きを持って聞こえてくるから不思議だね。

2024 1 27